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天使の嘘

 

 私は天使です。
 神様から与えられた仕事は二つあります。
 一つは『時』をつむぎ、『世界』を織りなすこと。
 カラカラカラ……カラカラカラ……
 今日も糸巻きを穏やかに回しています。
 この糸巻きは神様から授かったもので、『世界の時』とつながっているのです。
 早すぎても遅すぎてもいけません。
 早く回せば、世界はせかせかと落ち着かないものになってしまいます。
 遅く回せば、世界はだらだらと前進を忘れてしまいます。
 そうではなく……一定の速さで……
「大変そうだな……」
 暗い地下室に、彼の声がポツリと響きました。
 顔を上げると、鉄格子越しに彼と目が合います。
 私はにっこりと微笑んで、それに答えました。
 彼は囚人です。
 彼を見張ることが、私のもう一つの仕事です。



 彼は人間だそうです。
 ある大罪を犯して、こうして神様に囚われてしまいました。悪魔でも怪物でもないのに天界に囚われる人間は大変珍しいです。
 でも私は彼の罪を知りません。名前も知りません。
 彼を見張るのは楽な仕事です。天界の牢屋を脱獄することは絶対にできません。本当は見張りも必要ないくらいなのです。
 そんな簡単な仕事なので、私が掛け持ちすることになりました。時をつむぐ仕事も、大切ではありますが簡単な仕事ですから。
 罪人の前で仕事をするなんて、最初は落ち着かなかったものです。でも、もう慣れました。
 むしろ彼は私にとって何より大切な存在となっています。



「春になると、あたりは一面の花畑だ。特に目をひくのは庭にある桜の木だった。俺たちの国では桜の下には死体が埋まっているという伝説がある。血を吸い上げ養分としてるからこそ、あんなに真っ赤なんだと。そんな風に恐ろしくなるほど、それはそれは綺麗な桜だった」
「まあ……」
 彼は今日も下界の様子を話してくれます。
 物心ついたときから時をつむいできた私は、下界を見たことがありません。
 皮肉なものです。私は時をつかさどる存在だというのに。彼に聞くまで、四季というものさえ知りませんでした。
「春といえば、花見という風習もあった。桜の下に酒を持ち寄り、みんなで呑み交わすんだ。暖かな夜にまどろみながら、朝まで宴は続く」
 彼の語る日常は、私にとっては心躍る冒険譚に聞こえます。
 そして人々が四季の移り変わりを喜んでいるのを聞くと、私も嬉しくなるのです。仕事が報われているのを実感し、自分に誇りを持つことができます。
 神様に知られたら怒られてしまうかもしれません。報いがあろうとなかろうと自らのなすべきことをせよ、と。
 でも、これくらいのささやかな幸福、私は許されると思うのです。



「俺の住んでいた村は海が近かった。夏になればみんなで泳ぎに出かけた。魚も釣った。人間の子どもくらい大きいのも釣ったことがある」
「まあ、すごい」
 話を聞きながらも、手は一定のスピードで。もう、それも慣れたものでした。
「…………」
 ふと彼が言葉を止めました。
「どうしたのですか……?」
「……俺もあんたの仕事を手伝えればいいのにな」
 彼がポツリとつぶやきます。
 気持ちはありがたいけど、それは無理な話です。
 いくら簡単な仕事とはいえ、人間にこの糸巻きを回させるわけにはいきません。
 それに彼と私のあいだには重い鉄格子があるのですから。
 でも彼の心遣いは純粋に嬉しく思いました。
「あんたの他に天使はいないのかい?」
「いますよ。でも、みんなも忙しいんです。他の天使はもっと難しい仕事や危険な仕事を命じられています。私はこんな楽な仕事なのですから、文句を言ったらばちがあたりますよ」
 嘘でした。
 本当はつらいのです。
 腕は重いし、手の皮はすりきれて血がにじんでいます。
 でも、そんなことを言えば、彼はますます無力感に襲われるでしょう。
 私は精一杯の笑顔で彼に言いました。
「それに、あなたは十分、私を手伝ってくれています。あなたの話で私はどれだけ救われていることでしょう。さあ、夏の話を続けてくださいませんか?」
 それを聞くと彼もまた微笑んで、
「ああ……ええっと、夏の夜には夏祭りというのが開かれて……」
 それ以上は何も聞かずに話を続けてくれるのでした。
 彼は私のついた陳腐な嘘などとっくに見通していたのかもしれません。
 しかし彼を気遣う私の心を、彼は逆に気遣ってくれたのでしょう。
 私は感謝しました。
 彼は人間にしておくのがもったいないほどの人間です。



「秋は収穫の季節だ。農作物が実を結ぶ。俺の村では主に稲を育てていた。全ての田畑が金色に輝くさまは、まるで一枚の金の布を広げたようだった」
 彼への信頼が増すと同時に、一つの疑問もまた膨らんでいきました。
 彼ほどの人が、なぜ囚人にまで身を堕としてしまったのか。
 でも、どうしてもそれだけは聞けなかったのです。
「稲の収穫は村人全員でやる。それはそれは大変な作業だが、収穫をその手で実感できるんだ。みんな、汗だくの顔になりながらも、どこか嬉しそうだった」
 怖かったのでしょう。
 彼の大罪を聞いてなお、私は変わらず彼を信じることができるのか……
 天使の身でありながら、なんて卑しいことでしょう。
 過去がどうであれ彼ほど心清らかな人間はいないと、それは分かっているはずなのに……
 でも私は、ある理由からそれすら認めることも恐れているのです。
「……どうかしたのか?」
 気がそぞろであった私に気づたのでしょう。
 彼は心配そうに私を見つめていました。
「やっぱり……こんなつまらない話はよそうか……」
「そんな……! 違うんです。あなたは悪くないんです。ごめんなさい。気をそらしていた私が悪いんです」
 必死に弁明しても彼は沈んだ顔のままでした。
「俺はあんたによかれと思い、下界の話をしてきた。でも、それは酷なことだったのかもしれない。ここから出ることのできないあんたに、外の素晴らしさを伝えるのは……ただの俺の自己満足で、本当は何より残酷なことだったんじゃないのか……?」
「違います!」
 私は思わず大声で叫びました。
「あなたの話に私はどれだけ勇気づけられたか……あなたのおかげで、私の日々は色を取り戻し輝き始めたのです! あなたが……あなたがいたから……だから……」
 私の目から涙がこぼれおちました。
「私は……あなたを……失いたくない……!」
 それは決して天使には許されない言葉でした。
 でも、たしかに私の本当の気持ちでした。
 私は怖かったのです。
 彼の心が綺麗であればあるほど。
 神様がそのことを知ったら、彼を許し釈放してあげるかもしれない。
 それが怖かったのです。
 彼がいなくなったあと、私はまた一人ぼっちになってしまう。
 ああ、なんて卑しい……!
 私は自分のことしか考えていないのです。
 彼が永遠に囚われ続けることを望んでいるのです。
 こんな私より彼のほうがよほど天使にふさわしいでしょう。
 私のほうが、よほど……牢に入るにふさわしい……
「泣かないでくれ……」
 ふあっと頭をなでるものがありました。
 彼が鉄格子のあいだから必死に手を伸ばしてくれていました。
「大丈夫。俺ならずっとここにいるから……あんたが望む限り……たとえ神様に釈放されたとしても、ずっとここにいるよ……」
 あふれ出す涙を止めることができません。
 私は赤子のように彼の手にしがみつき、泣き続けました。
 それはまるで、決して逃がすまいと、彼の手を捕らえているようにも見えました。



「神様に呼ばれた……俺は行ってくるよ……」
「……そうですか」
 とうとう恐れていた日が来ました。
 私は努めて平静を保ち、糸車を回し続けます。
 それでも手が震えるのを止めることはできませんでした。
「大丈夫。ただの面会だ。釈放されるわけじゃない」
 彼は私の不安を見透かすようにそう言いました。
「……あなたにずっと聞きたいことがあったのです」
「なんだい?」
「……あなたの……罪とはなんだったのですか?」
 彼は一瞬顔をしかめ、ぼそりと答えます。
「……嘘をついたんだ」
「嘘?」
「ああ……素晴らしい人だった……あんたの前で言うのもなんだが、天使のような人だったんだ。俺のことを本当に信じてくれた。なのに……俺はそれを裏切ったんだ……」
「その人は……女性なんですね……」
「……ああ」
「そうですか……」
 つい糸車を回す手が止まってしまいました。
 そんな私を励ますように彼は笑いかけます。
「もう済んだ話なんだ。今の俺の望みは、あんたのそばにいること。だから、絶対に戻ってくるよ」
 戻ってこなくていい。
 私はそう言うべきだったのです。
 戻ってきてはいけない。
 あなたには人間の世界で人間としての幸せがある。
 こんな暗い地下牢に戻ってきてはいけないのです。
 でも……
「待っています……」
 私の口から出たのはそんな言葉でした。
 彼は愛する人に嘘をついたと言いました。
 私は愛する彼に嘘をつくことすらできませんでした。
 どちらが罪ですか?
 どちらが牢に囚われるべきですか?
 ねえ、神様……?

 * * * * * * * *

「お疲れさま」
「……はい」
 地上に出た俺を、看守部長が出迎えた。
「久しぶりの太陽はこたえるんじゃないか?」
「ええ、まあ……」
「まあ、ゆっくり羽を伸ばしておくといいさ」
 部長はたばこをくわえ、一本俺によこす。俺は軽く頭を下げて、それを受け取った。
「しかし……お前も変わってるよなあ」
 部長はふう……と煙を吹き出しながら言う。
「地下牢で囚人の見張りなんて、みんな嫌がるんだぜ? どうせ逃げられるような場所じゃないし、どうしても必要な仕事でもないからな。お前だけだよ。ずっと、この仕事でもいいって言ってくれるのは。それに、ほら。囚人の女がまたひどいだろう? 天使だの神様だの訳の分からないことばかりぬかして。空っぽの糸車をず〜っと回してんだから、こっちの気まで滅入ってくるぜ。ありゃあ、完全に狂っちまってるな。まあ、ずっと地下牢に閉じ込められてりゃ誰だってそうなるか」
「……彼女は」
「あ?」
「いえ、あの囚人は……その……」
 何の罪で囚われたのですか?
 俺はそう聞きたかった。
 でも、どうしてもそれだけは聞けなかった。
 怖かったのだろう。
 彼女の大罪を聞いてなお、俺は変わらず彼女を信じることができるのか……
 ああ、なんて卑しいことだろう。
 過去がどうであれ彼女ほど心清らかな人間はいないと、それは分かっているはずなのに……
「あの囚人は……一生出られないんでしょうか?」
 俺が聞くと、部長はたばこの火を踏み消しながら、
「ああ……たぶんな。終身刑だって聞いたぜ」
 終身刑……
 それを哀れむと同時に、どこかほっとしている自分もいた。
 彼女が囚われ続けている限り、俺はずっと彼女のそばにいることができる。
 俺は自分のことしか考えていない。
 彼女は世界中の人間のために今も糸車を回し続けているというのに。
 たとえ、それがむなしい虚業であろうとも。
 彼女こそ本当の天使にふさわしい……
「じゃあな。あんまり羽目をはずしすぎるなよ。一週間後にまた穴倉暮らしなんだ」
「はい……」
 一週間後、俺はまた彼女の待つ地下牢に戻るのだろう。
 やっぱり神様はまだ許してくれなかったよ。
 そんなことを言いながら、偽りの囚人を演じるのだろう。
 そして彼女は俺をなぐさめながら、どこか嬉しそうに微笑んでくれる。
 そんな情景を期待している。
 天使のように純粋で、こんな俺を心から信じてくれる彼女。
 その無垢な心につけこんで、また騙し続けようというのだ。
 どちらが罪人なんだ?
 牢に囚われるべきは、どっちだ?
 なあ、神様……?


(終わり)
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